なぜかというと、私はA女史と一緒に立ち上げをしていく中で、やはり「二人で作っていった組織」という意識があった。
そして最低でも2年間はここでサビ管をやろうと思っていたからである。
というのも、まずサビ管の制度上の問題で、むこう3年間の間に2年の実務経験が必要であったのがひとつ目の理由。
そしてもう一つは何事も新規の立ち上げから2年もすれば、形としては落ち着いてくるので、それまではここで頑張ってその後はあとから入ってきた人、特にやる気のある若い人が入ってきたら育てて、あとは託そうと考えていた。
だから2年間は最低でもここでサビ管で居るつもりだった。
忘れもしない12月24日と25日、世間ではクリスマスといわれている日に駅から遠い会場までトボトボ歩きながら研修を受けに行ったことは今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。
そしてその後もたびたびA女史と会い、新規事業所の名前を一緒に考えたり、就労の訓練カリキュラムを考えたり、これはこれで私にとってささやかな楽しい思い出でもあった。
新規事業所の名前を一緒に考えた、といっても彼女はいつも鋭いインスピレーションが沸くタイプなので、おおまかな案を言ってくれて、私がその字数などを見る、といった感じで決めていった。
結局事業所の名前は<E>と決まった。
色々あるだろうが最低2年間はこんな感じでA女史と一緒にやっていくんだろう、とその時はまさか数か月後に<E>からスピンアウトするとは予想だにしなかった。
タグ:就労継続支援B型
カテゴリ:立ち上げるまでの経緯