まずは「やりたくないこと」を明確に決めた 14


そしてこのブログの一番最初の記事で書いたあるインスタで見た「山奥で見つけた廃バスを山のカフェに改装しよう」としたある女性の記事に戻る。

実際に就労継続支援B型をするにしても場所を借りなければならない、という固定概念からなかなか重い腰をあげることが出来なかった。

 

 

しかし答えがわかってからは「なーんだ、なぜこの発想ができなかったんだろう」と思うがやはり25年以上不動産屋の事務所として使っていた以上どうしてもここを就労Bの作業所にする、という発想はすぐには生まれなかった。

ちょうどこの場所は2階が以前はスナックをやっていたところで、カウンターがある。1階の事務所と2階の店舗を合わせると必要最低限の面積は確保できるようだ。

 

 

私は中学生のとき、オーディオ雑誌に紹介されていた東京中野にある喫茶店に目が留まり、東京に行ったときには必ずそこに行ってみたいと思い、それは高校になって実現した。

ちょうどその2階の元スナック店舗を、その東京中野にあった喫茶店のように改装して就労支援の場所にしようというアイディアも浮かぶ。

というのも、高校になって初の一人東京旅行で立ち寄ったその店にえらく感動してしまい、私はその後いつか自分もこのような店をやってみたい、と思うようになった。

 

 

しかし人生はなかなか自分の設計どおりにはいかない。

あれから40年。

全く別の道を進んできた訳だが、ここにきて就労継続支援の作業所という名目で十代のころに描いた夢を実現できるのである。

 

 

ただしこれは「私」目線で見た話しであるが、他にも理由があった。

それは、初めて就労継続支援B型を知ったときに遡る。

利用者がめいめい「工賃」という給料にあたるものを貰うシーンに出会った時のことである。

 

3千円、とか1万円とかを封筒に入れられているのだが、てっきり「日当」かと思っていたら、「月給」だという。

私ははじめ貧困ビジネスではないかと疑ったくらいだ。

しかし事業所のお話も聞くと致し方ない部分もある。

 

 

ここは「仕組み」を変えることによってもう少しなんとかできるのではないか、とその時思った。

まずは自社で何か収益になる事業をやっていて、その一環として作業の一部を訓練に組み込むと少なくとも数千円という月給にはならないだろう。

どうしても企業から安い単価で「一つ組み立てたらなんぼ」と下請けをやると、利用者も大変だが、スタッフも納期に合わせて作業をしているという私には地獄絵図にしか見えない光景が繰り広げられる。

だから、そのとき「何をやろう」というのは漠然としていたが、「やりたくないこと」は明確に決めていた。

 

 

それと、もうひとつは<E>を開設して初めて市役所の生活保護の担当部署からの紹介で来た利用者さんからの手紙があった。

この手紙というのはその人がパソコンで打ち込んだもので、プリントアウトされたものが一枚、今でも私の手元にある。

 

 

この利用者さんは<E>に来るまで、別の事業所に行っていた。

そこでトラウマがあったのか、最初の面談では「在宅で出来ないか」と、しきりに聞いてきた記憶がある。

 

 

それでも<E>に来ると、自ら積極的に作業の提案までしてくれるようになり、このくだんの手紙はチラシを作って市役所に置いてもらうようお願いしてみる、と作ってくれたものの一部である。

 

 

そこには「私は色んなところに行ったけど、<E>に来て本当によかった」と書いてあった。

 

 

その手紙とチラシを作って自分が生活支援を受けている市の担当者に「市役所にぜひチラシを置かせてほしい」とはたらきかけてくれたようだ。

これぞ本物の口コミであり<E>を立ち上げた身としては純粋に嬉しくてその手紙だけ一枚とっておいた。

 

 

厳密にいうと、誤字が多かったためその利用者さんと打ち合わせするために控えとして持っていたものだが、用が済んで本来処分するべきものを記念に持っていたものである。

この手紙を読み返してみると、嫌な事が多かった就労Bだがまたやってみよう、という思いが沸々と湧いてきたのである。

 

こうしてなんとか就労継続支援B型を再度立ち上げる決心がつき、指定権者である県の窓口に事前協議に行くことにしたのである。


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