サビ管を取る 3


前回「福祉事業の中でも何をするのかまだ決まっていなかった」と書いたが、実はこれよりほんの少し前までは、高齢者介護事業か障がい者福祉事業かさえもA女史の心の中ではまだ決まっていなかった。

 

だからこそ、高齢者介護福祉事業経験者である私にお声が掛かったともいえるのだが、もし高齢者介護事業であれば外からアドバイスはしてもプレイヤーになるつもりはなかった。

 

なぜなら、自分自身がやってみて、もう二度とやらない、と決めていたからである。特に夜勤を必要とする形式のものはやりたくなかった。

 

 

自分が高齢者介護をやり出した当時、ケアマネは自社で置かず、外部からの紹介のみにした。

 

 

その方が棲み分けが出来て先方も紹介しやすい、つまり自社でケアプランセンターを置くと同業になるので紹介しにくいからと、ある人に教えられたからである。

 

 

だが、実際やってみてその実感はなかったように思う。

むしろ、全ての利用者が「ケアマネが連れてきた利用者」なので主導権はケアマネにある。法制度上、主体は本人または家族なのだが、実務上、利用者やその家族は素人なので、「ケアマネさんに全て任せます」となってしまう。

 

だからあくまでも私たちは立場上、下請け業者みたいな形になっていた。

工務店でいうとお施主さんが居て、そのお施主さんから直接工事を請け負うと、色々話し合って打ち合わせが出来るが、元請けから下請けとして発注されて出向いた現場に、仮にお施主さんが居ても工事に関する話は自由に出来ないのと似ている。

 

このお話もその当時の心情を別のブログで書いたことがあるので機会があればご紹介したい。

 

私は高齢者介護事業の後半、つまりやめる直前は自分もケアマネの資格を取って、ケアプランセンターも併設しようと思った。

 

だがその時期にちょうど法改正があって、主任ケアマネという資格者を置かなくてはいけない、という簡単にはできなくなった制度に変わり諦めた経緯がある。

 

それから幾年月が経ち、私は介護や福祉業界から立ち去り、もう対人間とは関わりたくない、それには何が良いのかと、考えた末に人とはいっさい会わず、パソコン画面と格闘する相場の世界、つまり投資業で生きていこう、と決めたのは先日書いたとおりである。

 

話は横道に逸れてしまったが、高齢者介護事業をするなら外部のアドバイザーやコンサルでと思っていたが、A女史は結局「障がい者福祉事業」をするという。

 

障がい者福祉は私も未経験である。

 

その中でも障がい者グループホームか就労継続支援B型が良いということになった。

 

グループホームはなんとなくイメージできるが、就労継続支援B型など全く想像もつかないものだった。

 

A女史と打ち合わせをしているうちに、結局まず先に就労継続支援B型を始めてみて、そこに通う利用者さんでグループホームの需要があるようだったら、それを作ろう、という話に落ち着いた。

 

つまりどちらもすることになったのだが、順番としては就労継続支援B型→グループホームとやっていこうという話になった。

障がい者福祉事業なら未経験分野ということもあり、私も自分自身の勉強も込めてプレイヤーでやってみようと思った。

 

またA女史もそれを望んでくれていたというのもある。

 

私はA女史の会社が就労継続支援B型の設立準備をしているという資料を作り、サービス管理責任者の申込をした。

サービス管理責任者、通称「サビ管」はこの当時制度改正があり、需要が逼迫、受けたい人が溢れてしまい、単に資格を取りたいだけの人は申込を断られていた。

 

だから、「就労継続支援B型の事業立ち上げの打ち合わせを実際に県とやり取りしているが、サビ管がいないので困っている」という書類を作成して申し込まなくてはならなかった。

 

この時、普通のサラリーマン根性の人間だったら会社の必要経費で・・とやっていただろう。

 

実際、サビ管の研修に行ったら周りは会社経費で来ている人間ばっかりだった。

 

しかし、私は自費で行った。

 

これが後々、天が私に味方してくれる事になるなんて、その時は夢にも思わなかった。


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