私は2年間のサビ管実務経験をこの<E>で過ごそうと思っていたが、ここを飛び出したことにより胸がすっとしたような、何かの重荷が取れたような感覚と同時に、虚しさも覚えた。
というのも、ここで私の「もったいない精神」がムクムクと顔を出した。
それはサビ管が「みなしサビ管」で向う3年間のうち2年間実務経験をすることにより、本サビ管になれるというのが当時の私の立場だったのである。
それがもし会社経費で仕事と思って行っていたら何も思わなかったかも知れない。
以前のブログの中で「会社でサビ管が必要になったため取りに行くのであれば、たいていは会社経費で取りに行くのを私は手弁当で取りに行った」と書いた。
現にサビ管のグループワークで知り合った人は皆、会社経費で、しかも研修も「業務中」、つまり給料を貰いながら来ていた。
だからせっかく自分の金で取りに行ったのだから、このまま捨てるのではなく、あと1年数か月実務経験をして本サビ管も取っておきたい、と感じたのである。
このような心の葛藤が重なり、私は「傷心旅行」などというメルヘンチックなものでは無いが、いわゆる「リトリート」したくなり、ひとり日本海に向かった。
その道中、丹波の山奥に寄り、そこの住人と話をしていてふとした気づきがあった。
そこは元々私が田舎暮らしに憧れて、競売物件で落札したものの、田舎暮らしどころではない状況になり他人に貸していた物件であった。
当時別のブログでこのことを書いていたので、そのまま引用する。
---ここから
賃貸で貸している田舎物件の入居者が退去するという連絡を頂いた。
田舎なので、当分は空き状態がつづくだろうから、しばらくはセカンドハウス代わりに自分が使おう・・
と思っていたら、まだ前の入居者が入っている状態、つまり物件の中を見ずに
「新しい申込が入った・・」
と、任せている地元の不動産屋から入居申込みの連絡があった。
これもコロナの影響なのか。
少し前では考えられないことである。
そして、入居も無事終わり、ある用事でその物件に行ったときである。
なにやらモクモクと煙が上がっている。
近づくと、洒落た焚火台で木を燃やしている。
都市部では問題になるが、この辺は全く問題ない。
そしてよく見渡すと、庭に転がっていた石やセメントでできた部材を上手に組み合わせてアウトドア風のコンロが造られていて、その脇にはアウトドア雑誌の表紙に出てくるような焚火用の木がまさに絵になる状態で切られていた。
話をしてみると、今は自営で別の仕事をしているが、以前は某有名キャンプ用品店の店長をしていたとのこと。
自営をしていると彼は彼なりに色々あるのだろうが
私には
「なんて自由なんだ」
と映った。
というより、「そうだ、確かオレもこういうことをしたくてここを買ったんじゃないか。何かを忘れていた!」
と目の前に立っている若者が私に教えてくれたようだ。
しかしここは今や彼の城である。
私がどうこう出来るはずもなく彼と別れを告げると、以前から全く手つかずの物件へと足を運んだ。
DIYで手直ししなければならない箇所が多数ある物件だ。
特に外構がひどい。
先ほどの彼と話していて感じたのは土と触れ合わなければならないということだった。
20年間無敗の男、桜井章一氏が億単位の勝負をした後「土に還る」と言っていたのを思い出す。
外構を手直しするのは大変だが、土と触れ合うにはちょうど良い。
すると何やら鉄製の戦利品が出てきた。
錆さびだが、昔の器具は今のホームセンターで安く売られているものとは作りが違う。
柄の部分もしっかりとした造りだ。
鎌は少し重量感があり、その重みの力でカットできる感じだ。
もし、これが今のホームセンターのものなら、少なくともこれだけ野ざらしで放置されていて、ここまで原型はとどめていなかっただろう。
この鍬の先っちょのようなものも土の中に埋まっていた。
なんだか、遺跡の発掘のような気分になった。
以前の私なら、単なる物件の残置物のゴミとして処分していただろう。
しかし、これが後々塗装のとき大活躍した。
錆をある程度取ってから平べったい方でペンキの蓋をこじ開け、逆の方でまだペンキが入っている缶の蓋をコンコンと叩いてしっかり閉めることに活用出来たのである。
このように土と触れ合い大自然にいると人間関係に煩わされることもなく、心地が良い。
私は彼からそれを思い出させてもらい、大阪に帰ってからあるアクションを起こす決心をした。(以下略)
今、この別ブログの記事は非公開にしており、このときは書かなかったが、「もう就労Bなんて懲り懲りだ」と思っていた考えが180度転換し「別の形でやろう」と決心したのである。
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